2019年7月20日土曜日

「壊す」「壊れる」「壊される」

先日、なんか歩きづらい…と思って足元を見たら、




えーーーーっっっ!!


こんな壊れる????
びっくりだよ。
靴ってなんでいつもこう突然壊れるんだろうね…。

というようなことがあるといつも、友人であるウクライナ人女性が言った一言を思い出す。

「壊れたんじゃなくて、壊したんでしょ」

そうであった。
それを言われたとき、壊れたのは何かのケーブルだったけれども、コネクタ部分を持たずに線を引っ張ったり鞄にぐちゃっと入れっぱなしにしていたらちぎれたのだ。
今回だって、このサンダルで砂利道をかけまわったり山の中を歩き回ったりしたのは誰か。海にバシャバシャ入ったりフェスで跳ね回ったり、乱暴に扱ってきたのは誰か。

サンダルは自らひとりでに壊れたんじゃない。私に壊されたのだ。

ところで、私は上記の言葉を言われた時、猛烈に反省するとともに、日本語ネイティブじゃない彼女が「壊れる」と「壊す」を明確に使い分けたことにちょっとびっくりした。
だって、英語で考えると、この2つって、言い換えるの難しくないです?

例えば"break"って単語使うとする。

「このおもちゃはひとりでに壊れたんじゃない、あなたに壊されたんだ」

って、なんていう?
アメリカ人の友達に聞いて返ってきた答え。

"I didn't break this toy by myself, it was broke because of you."

…なんか、「私のおもちゃがおまえにこわされた」的な文章になってしまった。
そうじゃなくて、「誰」が出てこない文章が欲しかった、と説明すると…

"My toy broke. It was broke because of you."

うーん…。「ひとりでに」の部分を否定するニュアンスが消えた…。
というか、発話者の被害を被ってる感がすごい。受動態を使うとそこに引っ張られてしまうっぽい。

米国在住の妹に聞いて返ってきた答え。
This toy did not break, you broke it.

「壊れる」も「壊す」も全く同じbreakという単語を使っていますね。
目的語が無い自動詞であれば、被破壊側が動作の主になる「壊れる」に、目的語がある他動詞であれば、破壊側が動作の主になる「壊す」になるという感じ?文法的に、主語を必ず必要とし、語順のなかに文法的な付加的意味が必ず存在する英語においては、逆に言うと、「動詞」はその「動作」そのもの以上の意味は含まれておらず、その動作の主をにおわせる要素は無いのですね。日本語だと、「壊す」や「壊れる」には動作の主をにおわせる要素があるわけだけど、「破壊」という名詞にはその動作の主が壊す方なのか壊される方なのかという情報は含まれていないので、"break"って動詞は、意味の量としては「破壊」という単語に近いのかもしれないですね。

それにしても、妹のくれた文では「ひとりでに」の部分を否定するニュアンスがどうも弱い気がする…。

イギリス人の友達に聞いて返ってきた答え。
”This toy did not break itself. You broke it!”

子供がおもちゃを壊してしまった時なんかに親がいう決まり文句らしいです。
これはしっくりきますね。
受動態はやはり使わないのね。
そしてここで出てきたのが"itself"ですね。再帰代名詞というやつ。直訳すると「おもちゃが自分自身を壊す」みたいなニュアンスになるのかな。壊す者と壊されるものが同一ということ。

この再帰の感覚が、英語の場合、別の単語に分離しているから、"break"という動詞自体は1種類の動作しか存在しない。

一方、ロシア語の場合、再帰動詞というのがあります。

ломать: break
ломаться: break itself

この、сяの部分が、”itself”のニュアンスとして動詞にくっついてしまっている。
なので、英語より「壊れる」という単語のイメージに近いのかも。
だから、

あなたがおもちゃを壊した。
Ты ломал игрушку.

おもちゃが壊れた。
Игрушка сломалась.

という風に、言い分けることができるんですね。
ウクライナ人の友達はロシア語ネイティブなので、「壊れたんじゃない、壊した」という動詞の使い分けが親しみやすかったのかな、と、今になって思っています。(というか、彼女はウクライナ語ネイティブでもあり、ウクライナ語にも再帰動詞はあるんだと思う。)

ちなみに、ロシア語にも受動態があって、文法的には以下のようになる。
○○が(主格) + быть (be動詞的な奴) + 動詞の受動過去分詞 +  ○○によって(造格)

この文法を使って書くとこんな感じ。

Игрушка была сломана тобой.

でもこういう言い方ってしないな。
トラベシアの最新号「日本語について」に掲載されていた佐藤麻弥さんの文章を読んで、文法的に成立しない文のことを「非文」と呼ぶということを知ったんですけど、これもロシア語の非文というやつなのかな。そうは言わないってやつ。
文法としては存在するはずなのに、そうは言わない... なんでだろう?

と思って、フィンランド語の話に行きついた。
現在学習中のフィンランド語にも、再帰動詞が存在するっぽい。

ломать: murtaa
ломаться: murtua

じゃ、受動態は?と調べていたところ、稲垣美晴著「フィンランド語は猫の言葉」に、こんなことが書いてあった。

英語ではby誰、あるいは何と言うと、その行為の主がわかるが、フィンランド語ではそれは表現できないことになっている。それに想定される「行為主」は、人間あるいは人間のグループでしかありえない。印欧語で受け身を使うような表現は、フィンランド語では、能動態の再帰動詞を使ったり、同じく能動態の守護のない三人称単数の文を使って表現している

つまり、
1.行為の主がない、「ひとりでに」→再帰動詞
2.  特定できない誰かによる行為→受動態。ただし「~によってXXされる」の「~によって」の部分は表現されない。
3.「~によって」の部分が特定されるなら最初から「~がXXする」っていう。
ということですかね。

この感覚はちょっとロシア語にも通じるのかもしれなくて、なんというか、ロシア語の受動態も「おもちゃが壊された状態になっている」という、形容詞的な表現なのであって、行為の主がはっきりしてるならそれを主語にして能動態で書くよねって話ですね。
これは「~と言われている」みたいな日本語の受動態が英語では”They say”と表現されることと根本的には同じ現象なのかも。

こうやって考えてみると、日本語の「壊す」と「壊れる」と「壊される」のニュアンスの違いが動詞の中に含有されている感じって、英語とも、ロシア語やフィンランド語とも違う感じがありますね。再帰動詞の「自分自身を壊す」ニュアンスと、行為の主が無い「壊れる」はやっぱりどこか違う感じがする。

もちろん、だからと言って日本語の方が表現の幅が広いとかそう言う話ではないですよ。
ちなみに、私のサンダルの状況を説明して英文の例を挙げてもらったのは以下の通り。

アメリカ人の友達:
I broke my shoe while partying at the festival.

妹:
My sandals did not just come apart, I was too rough and ruined them.

イギリス人の友達:
My shoe just broke. I guess it must be something to do with all the jumping around at gigs and running in the sea.

表現の方法なんていくらでも無限にある。
ただし、「壊」という同語根を軸に「壊れる」と「壊す」の二つの単語を使って動作の主を180度回転させてみせるレトリックの華麗さは、日本語だからできる手法なのかなという感じがあります。

日本語ロック論争で有名なはっぴいえんどには、この手法を効果的に使用した歌詞の曲があります。松本隆作詞、細野晴臣作曲「しんしんしん」という曲のラスト部分。

都市に積もる雪なんか 汚れて当たり前という
そんな馬鹿な 誰が汚した
誰が汚した 誰が汚した

行為主のない「汚れる」を先に提示し、行為主の存在を回避できない「汚す」で、全体のイメージを逆転させている。お見事!!



ところで、北海道方言話者の私には、この、行為の主の位置づけについて、もう一つオプションがある。動詞の「~さる」、「~らさる」という語形変化、これです。

例えばスマホを片手で操作しているとき、親指で文字を打つのだけど、スマホをホールドしている方の中指や人差し指が画面に触らさって、意図せず文字が打ち込まさった消ささったりすることがあります。

テーブルの上に積んであった本が、リモコンの上に崩れ落ちて、電源ボタンが押ささってテレビがついた、とかいいます。

この前買った枕がめちゃくちゃ優れもので、なんぼでも眠らさるわ、とか。

なんていうか、行為の主にその意図はないのだけど、物理的に、システム的にそうなってしまうみたいなニュアンス。Let it be的な。

スマホをホールドする目的で置かれた指が、別の機能をはたしてしまってタッチ画面が動作してしまった。崩れ落ちた本はテレビを見たかったわけじゃないけど、落ちた先にたまたまリモコンの電源ボタンがあったというその状況が本にリモコンを押させた、「よし、眠るぞ!」という強い意志のもと、眠る行為を行ったのではなく、枕が「こいつを眠らせるぞ!」と働きかけたわけでもなく、その枕と体の相性が、そのシステムが、誰が主体の行為というわけでもなく枕使用者を眠りにいざなった。そういう感じのニュアンスで使ってると思います。

この感じは標準語だと文脈とかでそれとなく表現するほかなく、ドンピシャの語形変化や単語が無いのでもどかしくなる時あるのですよね。

そう、大好きだったあの私のサンダル、もちろんひとりでに壊れたんじゃないのはわかってる。だけど、壊したかったわけじゃない、ただ、あんなに毎日履いて履いて海入って砂がこすれたり、毎日走り回って、コンクリートがガンガン当たったりしてればそりゃ壊らさるよね。だからあのサンダルも私に壊されたわけでも砂やコンクリートに壊されたわけでもないんじゃ。

とか苦しい言い訳をしてみたりして。

と、いうわけで、「壊」という動作から展開する日本語の動詞表現の多様性について考えてみたわけですが、「壊」や「汚」のように「壊れる」「汚れる」みたいな形の存在しない日本語の動詞もいっぱいありますね。

例えば「選ぶ」は、「選ぶ」か「選ばれる」どっちか。
行為の主が全くない状態で「選出」がなされることはありえないし、再帰動詞のように、「自分自身を選ぶ」という動詞やその語尾変化も日本語には無い。誰かや何かが選ばれるには、必ずそれを選んだ誰かが存在する。そういう動詞です。

このブログを書いている今日は2019年7月20日。つまり明日は参院選があるわけですけれども。最近の参院選の投票率は20~30%台らしい。
つまり、7、8割の人々が選らばなかった候補者が、選挙というシステムの中で選ばさっているのですな。僕も私も選んでないけど、システム的に選ばさる。行為の主は不在である…。

そんな馬鹿な

2018年6月28日木曜日

もうすぐ海の日:WARF、 QUAY 、PIER の違い

もうすぐ海の日ですね。
今年の海の日の週末は埠頭音楽祭なる催しに行く予定です。

そんな、口にするだけでわくわくする単語「埠頭」ですが、英語だとなんていうのでしょうか?

英辞郎で調べたところ、以下のように出てきました。

いっぱいある...
まあ、一つめのは船の停泊するところみたいな、説明なので、置いといて、他の単語はどう違うのか??


ググってみたところ、こちら→のサイトにわかりやすい説明が。
pier、quay、wharfは、jettyとあわせて船の接岸部の形状、土台が杭で支えられているか、埋め立てられているかの2ポイントで区別するんですね~。


因みに、埠頭音楽祭の開催される晴海埠頭は、google mapで見るとHarumi Wharfとなっています。


公式ページの写真を見てみると、確かに船が横付けされていて、土台が杭でできてそう。


では残り、bundとは?
google先生に聞いてみたところ、なんとペルシャ語起源!


堤とか堤防とか、海から陸地を守る機能のある岸部のことみたいですね。
そうゆう岸辺が街として発展したものも、bundと呼ばれるらしい。

この単語は、中国語繁体字だと、外灘と言います。
The Bundだと、上海の外灘(ワイタン)のことを示すようです。


埠頭音楽祭主催の1983は当日、ジョンルウ外灘行進曲バージョン披露するのでしょうか??

それともサルサ♪


2018年5月30日水曜日

6月の呼び名、jの展開、夏の始まり

この前SaToAのライブに行って知ったんですが、彼女ら自主レーベル立ち上げてたんですね。
で、レーベル名の「ケサクータ」を冠した自主企画「ケサクータマーケット」を6月23日にThreeで開催するそうです。

で、ライブのMCでそのイベント紹介する時に、「ケサクータってゆうのは、6月って意味で…」って話してて、えええ???どこの国の言葉だよ???ってなりました。

だって、6月って、自分が知っているようなたいていの言語では全部語源いっしょってイメージだったので。


【ユノー】
けだし、ローマ神話に出てくる女神「ユノー」の名前から来ているやつです。ユノーっていうのはローマ神話の12神のひとりで、ユピテル(木星ジュピターの語源で知られる12神の一人)の妻。結婚の守護神かなんか。どうして6月がその女神の月なのかはしらんけども、とにかくこのユノーの名で6月を呼ぶ国は、語族を超えて、いっぱいあります。

- 「ユ」
ローマ神話の生まれたラテン語では6月Iuniusと書きます。たぶん「イウニウス」みたいな感じの発音。この「イウ」の部分は、素早く言うと「ユ」に聞こえるよね。この「イウ/ユ」の発音で始まる名まえで6月を呼ぶ言語は例えばギリシャ語のΙούνιος [Ioúnios]とかロシア語のиюнь [iyun']みたいにいろいろな文字体系で存在するんだけども、ローマ字を使用する言語の場合、大きく分けて3種類の記述パターンがある。

① iu
ラテン語と同じ綴りね。ラテン直系のルーマニア語Iunieとか。ハワイ語のiuneとかも。

② ju
jをヤ行で発音する国は多いですよね。オランダ語とかスウェーデン語のjuniがそれ。インドネシア語のJuniとか、ヨーロッパ以外の言語でもよく出てくる。

③ yu
ヤ行の発音であることから出てきた亜種のような感じでしょうか。ハウサ語のYuniとかがそれにあたる。まあでも基本的には多くの国ではjを用いてつづられているよね。

- 「ジュ」
前述のjを用いてつづられる語が、ヤ行じゃなくてジャ行で発音される国がめっちゃありますね。英語のJune、フランス語のjuinとかがそれ。
このジャ行の発音から綴りが変化して、イタリア語みたいにgiugnoってなるパターンも。

- 「フ」
さらに、jを用いてつづられる語が、ファ行(なんだそれ)みたいな発音になる国もある。

① ju
スペイン語のjunioは「フニオ」みたいな発音になるのかな。

② hu
この「フ」の発音に合わせてhuで綴る言語も多くあるようです。セブ語(セブアノ語)のHunyoとかがそれですね。


これらのほかにもガリシア語のXuñoと書いて「シューニョ」と発音するのかな、であったり、微妙にいろいろ違えども、ユノー語源の呼び名がとても広く流布している。

それからスラヴ系ではユノー以外の語源の呼び名でポピュラーなのがありますね。

Червень
チェルヴェーンみたいな発音です。
「チェルヴ」っていうとなんとなく紅色的な意味合いの語幹のイメージですが、どうして六月にこの赤っぽい呼び名がついているのかは諸説あるようです。
ウィキペディアによると赤色の塗料の元になる虫がその時期いっぱい発生するからとか、その時期に赤い木苺がいっぱい成るからとかそんあようなことがかいている。
ポーランド語のczerwiecであったり、チェコ語のČervenとかがこの仲間です。
自分の中の感覚だと6月に赤のイメージ全く無いけどスラヴ圏の6月は赤っぽいんですね~。

とまあ、アジア系言語とかアフリカ系の言語だと全く状況しらないけど、1年を12ヶ月で数える暦事態が西洋のものだから、アジアとかでも西洋の呼び名を概念と共に外来語として輸入してることがおおいし、基本、ユノーとチェルヴだけ押さえておけば、知らない国の言葉でも、あ、今の単語は6月って意味だなって大体あたりがつく。


ここへきて。
ケサクータですよ…。
もう、なにがどうなってそんな呼び名なのか検討もつかん…
突然変異過ぎるだろフィンランド語かよw

って思って調べたら…。


フィンランド語だった…。

…。
月の名前くらい勉強したはずなのに、全く覚えていないという(涙)

kuuはお月さまのことですね。
語尾は属格変化かなんかですね(よく覚えてない)
じゃ、ケサってなんだろう???

と思って調べたら、フィンランド語や言語ネタ毎日更新の、シロクマさん(て勝手に呼んでる)のページに丁寧な解説がありました。


さすがシロクマさん!頼りになる!!いつもお世話になっております。

てことで、kesäkuuは「畑をすき直す月」ってことなんですね。

え、ちょとまって、畑を「鋤く」って、耕すのと何が違うんだろう??

goo辞書みると、「鋤や鍬で田を耕すこと」って書いてますね。…だから結局耕すと何が違うんじゃ。
しかしよくみると(「透く」とどう語源)の注意書が。なるほど。透き通らせるみたいな意味合いが強いのかもね。冬中放置して無軌道に張った雑草とかの根とかを、鋤でぶちぶちきって、土を柔らかくして、新しい種からの根がよく地面に広がれるようにするのですね。

まあ、耕すっていうと、肥料とかまいたりとか、そういう、畑の土作全体をさす意味なのでもうちょっと広いけど、鋤くだと、土の中の遠しをよくする意味合いが強いのでしょう。たぶん。


ううむ、そうか。
この6月ひとつきで、今年も半分終わるのだよね。この半年で、放置し放題なっているいろいろなことものに鋤をいれて、後半の豊穣に繋げたいところ。
ちょっといろいろ、鋤き直してみようかね。

kesäは、フィンランド語で「夏」の意味でもあります。もう、夏が始まるのですね。

2018年4月24日火曜日

TolongとSilakan

先日会社内のカルチャー講座で、初めてのインドネシア語会話というのを受けた。
国としての独立というイデオロギーから多民族のための公用語として戦後整備された言語とのことで、マレーシア語をベースにしてはいるのだけど、簡潔、機能性、合理性が人工的に考慮されている感じは、エスペラントやsimplified Englishに通じる意図を感じる構造のようだ。

っても、挨拶とかくらいしか習ってないけど。

で、中でもとても驚いた基本単語があったので書いておきます。

もらったプリントにはこう書いてある。

どうぞ~してください Tolong 自分のために使う
どうぞ~してください Silakan 人に勧める時に使う

つまり、英語で言えば、Pleaseにあたる表現で、この後に動詞が来る。
話し相手に何かしらの動作を促すための単語なのだけど、その動作が相手のためなのか、発話者のためなのかで使い分けるというのである。なんということだ。

先生は、「どうぞ座ってくださいなんていう時はSilakanを使います。これはビジネスなんかでは結構気をつけなくてはいけなくて、良かれと思ってどうぞ来てくださいなんて言って、間違ってTolongとか使ってしまうと、『あなたの頼みを聞いてあげたのだ』ってものすごい恩着せられたりするから気を付けてください」というような説明をしていた。

空気読むのが苦手でおなじみの私としては、これは非常にありがたいシステムなのではなかろうかと。ブレークスルー的発想じゃない!?

例えばですよ。
友達と二人でごはん食べてたとするじゃないですか。
で、大皿でエビチリとか食べてたとして、エビが最後一個残ってしまう。
そうすると友達がいうわけ。
「食べて食べて」

そしたら私は多少腹いっぱいでも、あ、食べてほしいのか、じゃ食べるわ。ってな具合に食べる。

まあ、それ一回だけのことだとそれで終わりなんだけど、そんなことが10回も20回も続くとする。から揚げだったり、デザートのイチゴだったり。
で、あらこの友達は小食なのだなぁなんてぼんやり思い始めたころ、突然言われるのである。

「いつもいつもゆずってあげてるのにぜんっぜん感謝とか無いよね」

「え???」
なのである。
こっちもむしろ残さないように毎回食べてあげてたつもりなのである。
「えーーーーっ」
なのである。

しかしここにTolongとSilakanがあれば!!

お団子、最後の一個ですよってとき。

「Tolong、食べて」

と言われれば、あ、もう食べれないから私に食べてほしいのだなってわかるではないか!そしたらまあ、まだ食べれたら食べるよね。

「Silakan、食べて」
と言われれば、あ、ご厚意で譲ってくれようとしているのだなってわかる。
そしたら、腹いっぱいなのに無理して食べず、いやいやそちらが食べてくださいとなる。

と、ここまで考えて、いやしかし待たれよ。と私は思った。

こういうセリフを聞いたことはないだろうか。

「ああもうおなかいっぱい!!わたしもう無理。最後のクッキー、あなた食べて。むしろお願いするわ!そうしてくれたらほんと助かるから」

という、「あなたに恩を着せたりなんかしない」という心遣いから、「ほんとは自分も食べたい」なんて微塵も思ってない体をあえてとりつつの譲り精神。
…この場合、本心をかくして「Tolong」を使うのであろうか??

「ほんと、お願い!こっちのチョコレートもあなたが食べて。その方が私がうれしいから!」
という、「あなたの幸せ=私の幸せ」という気持ちの時。
…この場合、言われた方もチョコレートを食べたいと思っていれば、言われた通りチョコレートを食べることは言った方のためにもなるし、言われた方のためにもなる。
そんなときは「Tolong、かつSilakan」とか言うんだろうか…。

しかも、あなたが嬉しいと私も嬉しいという気持ちの中に、(でもほんとはほんのちょっとだけ私も食べたいと思ってるけど)という気持ちが含まれていた場合は??

とか考えてると、結局「今のTolongはほんとはSilakanのTolongか?」とか「今のTolongは、実は2割Tolongだったりするのか??」とか考えなきゃいけなくなって余計ややこしいのでは…???

インドネシア人の人たちは、結局この二つの単語、どうやって使い分けているのだろうか。使い分けられているのだろうか?いつかインドネシア人の友達が出来たら聞いてみたいです。

2016年11月3日木曜日

文化の日によせて

図書館で新刊に分類を付与する仕事をしていた時、文化人類学系の書籍にはいつも悩まされた。
いくつものキーワードを分類ツリー横断して付与できる電子書籍とは違い、質量を伴う冊子体はどこにどう配架するかが、アーカイブの要。どのツリーの元に分類していくかで、その後のその本の運命が大きく左右される。
タイトルやアブストラクトに「文化」という単語が入ってくる度に、300番台 (Social sciences) につけるのか、700番台 (Arts) につけるか、あるいは400 (Language) か800 (Literature) か…DDCとにらめっこしながらうんうん唸っていた。

あーーっもう、文化ってなんなんだよ!!って、同僚と嘆いて悩んだのに、結局未だによくわからない「文化」という言葉。

google先生による"culture"の定義は一番に
1. the arts and other manifestations of human intellectual achievement regarded collectively.
としていて、類義語としてthe arts, the humanities; intellectual achievement(s), intellectual activity; literature, music, painting, philosophyが挙げられている。

語源については以下の説明。
Middle English (denoting a cultivated piece of land): the noun from French culture or directly from Latin cultura ‘growing, cultivation’; the verb from obsolete French culturer or medieval Latin culturare, both based on Latin colere ‘tend, cultivate’ (see cultivate). In late Middle English the sense was ‘cultivation of the soil’ and from this (early 16th century), arose ‘cultivation (of the mind, faculties, or manners’); sense 1 of the noun dates from the early 19th century.
まあ、よくいわれる、「耕す」ことから来てるって話。
つまり、日々の糧を得るための行動ってことなんだね。
こう書くと、芸術は純粋に美学を追求するのに対し、文化は生命維持に関わること…みたいに対置してしまいそうになるけど、実際にはそうじゃなくて、人間はある時、生きていくためには食糧を摂取するだけじゃなくて、他からも栄養をとる必要があるし、それは自分たちで耕して収穫できるって気付いたってことなのかも。

因みにロシア語のкультураもフィンランド語のkulttuuriも同語源と思われる。
例えば古くから世界中で認識され、使用されている「芸術」という言葉がEng: art, Rus: скусство/удожество, Suo: taideと語源を全く異にするのとは逆に、比較的新しい時代に世界へ拡散されて行った概念なのかもしれない。

語用の歴史を見てみても、1920年代以降、civilization以降に使用率が伸びているようだ。


"art"だと、1800年代から現代まで、使用率が常にほぼ一定のようだ。
芸術は昔っから存在していたけれど、それが人間が生きていくために必要な糧としての認識に、そして人間自体が育てられるものだって認識に変わっていったのは最近ってとらえ方が出来るかもしれない。
それまでは、芸術は多分「神事」とか、「物理化学」に属していたのかな。

ところで、じゃあ日本語の「文化」って言葉はどこから来たんだろう?
明らかにラテン語のcolereが語言ではないよね?
ネット上でざっと見た感じだと、これっていう定説はなさそう。
「文明開化」の略…とかそうゆう説もあるっぽい。
まあ、それは眉つばとしても、「文」という文字を使用しているのは面白い。
文…てのはつまりwordsってことだよね。
言葉にするってこと。
「何かを言葉にする」という行動は、自分にとって未知のものを理解しようとする試みだと思ってる。
概念が言葉をつくるのか、言葉が概念をつくるのかみたいな話になるとややこしいけど、自分にとって新しい概念や未知の価値観を理解しようとするプロセスとして、言語化という現象があると思う。
ここでいう「言語」は狭義である必要はなくて、それこそ絵画だったり、音楽だったり、しぐさだったり、表情だったり、広義のバーバルと捉えられる。
そう考えれば、「文明開化」の略ってのもあながち遠からずかもね。

では、カルチャーという言葉も文化という言葉も日常的に使用する自分が、もう一度この概念に対して落とし所を見つけるとしたらどうなるだろう。
私たちは、未知なる何かを理解しようと日々試みては、言葉の土壌を耕し糧を得なければ生きていけない種類の生き物ってことでどうかな。

さてさて今日は、どこを耕しに行こうか。

2014年11月14日金曜日

夏至なんです

夏至でした。
今年も夏に至りました。

夏だし、数日前に、ネット上の人に、このブログを見たというようなことをほのめかされて舞いあがっていることもあり、特にネタも無いのにブログを更新したりしています。

少し前に、シンガポール在住の友達が東京に来ていて、空の様子について面白いことを言っていました。
曰く、シンガポールでは朝、あ、太陽が昇り始めたな…と思ったらもうすぐに昼間の日差しになっているのだとか。夜も、さっきまで真昼間みたいに明るかったのに、ちょっと目を離したすきに真っ暗になっているとか。
「なんかさあ、朝と夕方が無いんだよね…」
友人はそう言って首をかしげていました。

これには私も驚いた。
白夜の国に住んだこともあるくせに、逆に赤道直下だとどうなるか、と言うところには考えが及んだことが無かった。

私たちは、海沿いだとか内陸だとか、北だとか南だとか、偏西風だとかなんだとか、土地によって季節や気候が違うことは承知しているけれど、土地によって、1日の流れ方が違うことにはあまり気をまわしていない。

常春の国、シンガポールでは、夏も冬も無い上に、夏至と冬至の差が殆ど無いらしい。
これで、シンガポール特有の言語があれば言語に影響していたかもしれないのになあと、悔しい気持ちになりますね。

念のため、赤道直下の国々にざっと目を通しましたが、アフリカは言葉事情が良くわからないし、中米はヨーロッパからの輸入言語を使用しているので、特有の言語を保持していて、且つ調べやすそうなのはインドネシアぐらい。
試しに「夏至」をgoogle翻訳してみたけど出てきませんでした。

赤道の下で暮らす人々は、夏も冬も変わらず真っ暗な夜を迎えているのですね。
ロシアに住んでた頃、夏休み、おばあちゃんの住むウクライナに遊びに行きたいと言う娘を心配した母親が
「あんな真っ暗なところ危険よ」
みたいなわけのわからない心配してたの思い出しちゃった。
私の住んでいたペトロザヴォーツクという街は夏至の頃1週間くらい、本当に太陽が沈まなくなります。そんなところに住んでる人にとっては、「夏なのに夜暗くなるなんて恐い」というイメージがある(人もいる)ようです。

ただ、そんな白夜の国でも、1週間全くの真昼間が続くわけではありません。本当の真昼間は2、3日しか無くて、残りの日は、夕方くらいの暗さにはなる。
要するに、一晩中、夕暮れ時みたいな明るさが続くのですね。

もちろん真昼間が何十時間もぶっ通しで続くハイテンションな状態は何にも替え難い良さがありますが、この、通常では日々の一瞬にしか味わえない夕暮れの時間帯を一晩中堪能できる情緒を好む人が多いのだなあという印象を当時抱いたのを覚えています。

日本くらいの緯度だと、言っても、8時前には日が沈んでしまうけれど、それでも、「逢魔時」とまで言われる不思議な影の無い時間帯が、夏至の頃にはいつもより随分長く楽しめることに少しそわそわしてしまうと言うのは否めないと思う。

そしてこの時間帯そのものや、その時の空の色に関する言葉が多いのは、夏至の効果も一役買っているのではないのかと思うのです。
夕暮れと一言に言っても、黄昏なら黄色っぽいし、夕焼けなら赤っぽい、薄暮なら青っぽいし、夕映えあたりだと黒い影がヴィヴィッドな印象がある?あとは、最近だと、マジックアワーとかトワイライトとかも言いますよね。

ちょっとずれるけれど、私の好きな「くるり」という日本のロックバンドの歌詞に、「べんがら格子の街」という、夕日の頃を表現したフレーズがありまして、べんがらって言うのは、弁柄とか紅殻とかの漢字が使用される暖色の一種。べんがら格子というのは、京都の町並みに見られる赤っぽい木の格子窓みたいなやつです。
この歌自体、京都の街そのものを歌っている側面もあるのだと思いますが、その格子の赤さと夕日の赤さがよい具合に交錯して、何とも言えない情緒を醸します。夕日の赤さを、空の色ではなく、街の色で表しているところが俳句っぽい。

閑話休題。
日本でもこれだけいろんな表現があるんだから、一晩中薄暮・薄明(の間に断絶が無いって、よく考えると不思議…)が続く国ではさぞいろんな表現が発達しているのではないでしょうか。

と言うわけで、まずはロシア語
twilightにあたる言葉はсумрак, полумрак。
сумは「ぼんやり」みたいな意味、полуは「半分」の意。
мракは「暗がり」の意味で、日本だと薄暮のイメージに近いようです。
夕焼け、朝焼けはそれぞれзакат,заря。
言葉の成り立ち的には、日没、日の出のような意味なのですが、googleでイメージ検索すると、日本語の夕焼け、朝焼けと同じように、赤い空の写真がヒットします。


....
って、ここまで書いて放置してたらもうすぐ冬至ではないか…!
今年の冬至は12月22日。朔旦冬至とゆうちょっと珍し目なやつらしいですね。
今調べて知っただけです。付け焼刃です。

どうして急に書きかけのブログのこと思いだしたかっていうと、話は昨日(11月13日)の昼に戻ります。
いつものごとく赤塔で昼飯ってたらですね、突然目の前に現れたんですよ、妹が。
離れて暮らす妹が。
幻?と思ったんだけど、幻じゃなくって、東京に野暮用があったとかで、突然飛行機乗って海越えてやってきたそうです。先に言えよ!平日の昼間に突然現れたらビビるわっ。

というわけで、急きょ妹がうちに泊まっていったのですが、なにしろ離れて暮らしている姉妹なもんで、大分夜更しして話しこんじゃったよね。

で、夜中の大半を占めていたビッグイシューが、「日付変更線問題」。
北極とか南極とかって、日付変更線を一日のうちに何回も越えられるはずだけど、時を遡れないのなぜ??って話ですね。
妹が、地球は傾いてるから日付変更線は極の上を通ってないとか言いだして、それじゃあ、極はずっと今日で明日が来ないのかとか、不毛な議論が延々と続き、結局、
「私たち、上手く説明できないだけで、多分わかってるよね」
ってゆう結論にしか至れなかった残念姉妹です。残念です。

てゆうか、今でさえ年1ぐらいしか会ってなくて、もうすぐもっと離れ離れになって、数年に一度しか会えなくなるというのに、夜のおしゃべりテーマこれかよ。そりゃ地球も傾くわ。

まあ、私たち姉妹が残念なところはさておき、地球は傾いているって話で、冬至とか夏至とかそうゆうこと思い当ってね、このブログのこと思いだしたというわけです。特になんのオチもポイントも無いです。

それでは早速薄明薄暮を現す表現に戻りましょうかね。
夏に、ブログを書き始めて手が止まってしまったのは、結局、ロシアやフィンランド語でソレっぽい単語探しても見つけられなかったからなのです。twilightの等価語くらいしか出てこない。あとは朝焼けとか日没とか、太陽をフィーチャーした表現。まあ、twilightにもレベルがあるって話は知らなかったので面白いと思った。

市民薄明常用薄明、第三薄明) Civil twilight
太陽高度-50分~-6度。まだ十分に明るさが残っていて、人工照明がなくても屋外で活動ができる明るさ。「50分」は太陽の半径に相当する角度であり、これだけ地平線の下に入っている時が日の出・日の入り(太陽の上端が地平線に接した時)ということになる。
航海薄明第二薄明) Naval twilight(Nautical twilight)
太陽高度-6度~-12度。海面と空との境が見分けられる程度の明るさ。
天文薄明第一薄明) Astronomical twilight
太陽高度-12度~-18度。6等星が肉眼で見分けられない明るさ。

ウィキペディアより

日本にも、火灯し頃などの表現があるけれども、上記の表現は、船舶関連の専門用語かなんかですので、各国語に訳がありますが、その国独自の表現ではない。

あとは、マジックアワー、ブルーアワーといった、映像とか写真関係の表現くらいでした。
なんだろう、日本語の豊富さから期待しすぎたのか…
調べ方が悪いのだろうか。
黎明、払暁、彼者誰(かわたれ)、明け、夜明け、暁、東雲、曙、黄昏、夕暮れ、日暮れ、薄明、薄暮、夕闇、灯点し頃、暮合い、夕、夕間暮れ、夕べ、逢魔時…

ちょっと、そのうちリベンジしたいテーマですが、とりあえずアップしちゃいます。
ああ、リベンジしたいテーマばっか増えていく。

2013年10月26日土曜日

大名かわいい

日本語学習者に説明するのが難しい表現ってあるよね。

「かわいい」という表現は、今やファッション界などで海外に輸出されて、単に辞書に出てくる下記の意味をあらわす語ではなくなっている。
eng. cute
rus. милый
suo. söpö
逆に言うと、kawaiiという語となって、使用する場面が限定されている。
それは、「かわいい」という単語で表現できる価値観は、他国の言語では、一言で説明するのが難しい、ということだ。
では、日本語ネイティブである私は、この単語の意味を適切に説明できるでしょうか?
正直、これをうまく説明することは、私にはかなり難しい。
それどころか、よく使う単語なのだから、感覚的にはわかっていると思っていても、一歩踏む込むと本当に感覚をつかんで使っているのか怪しい部分さえ出てくる。
例えばこんな質問されたとする。

Q. Why the phrase "kawai-sou" means "pity" although the meaning of kawaii is "cute"?

「かわいい」と「かわいそう」。
同じ語幹をもつふたつの言葉が、こんなに異なった意味を持っているのはなぜか?

~そう
→「そうだ」
助動詞
1.
動詞・助動詞などの連用形、形容詞・形容動詞などの語幹に付き、…様態の意を表す。
「…という様子だ」
「今にも…するような様だ」
eng. it seems..., it looks (like)
例:雨が降りそうだ/彼はいかにも丈夫そうだ/自信がなさそうだ
eng. It looks like rain. He looks healthy indeed. He doesn't sound too confident.

2.
活用語の終止形に付く。伝聞の意味をあらわす。
eng. They say that ..., I heard that ...
例:雨が降るそうだ/彼は丈夫だそうだ/自信がないそうだ
eng. They said it was going to rain. I heard that he is healthy. He said he had no confidence.

この理屈から行くと、

「かわいそうだ」
なら、形容詞「かわいい」の語幹に「~そう」が付いているわけだから、
「いかにもかわいいようだ」というような意味になるはずだし、
eng. It looks like cute.

「かわいいそうだ」
なら、終止形だから、
「かわいいということだ」というような伝聞になる。
eng. They said she was cute. / I heard that she was cute.

このうち、後者の「かわいいそうだ」の方は、理屈通りの意味になるからいい。
しかし、「かわいそうだ」の意味は実際には全然違ってくる。

かわいそう
形動詞
同情の気持ちが起こるさま。ふびんに思えるさま。

英辞郎だと、
poor, pitiful, sorry, pathetic
なんかが出てくる。

「同情」というと、辛い目にあっている人の身になって、辛苦の情を共有する感じだからまだしも、不憫とか、英語のpitifulとかpatheticとか、人を下に見てるような、いけすかない表現だ。
「かわいい」って言葉が、持つ好意的なイメージとは明らかにかけ離れている。

かけ離れている…本当に?
私たちが「かわいい」って口にする時、「キレイ」とか「美しい」って表現に含まれているような尊敬の念というか、畏敬の念は含まれていないんじゃない?
好意を表す言葉ではあるけれど、それは、幼い子供(や子供のような大人)に対してだったり、雑貨やアクセサリのような小さいモノだったり、不完全で親しみのあるキャラクタのことを「かわいい」って呼ぶ時、本当に全然下に見ているような気持ち、含んでないって言えるかな?
「守ってあげたいよなカワイイ子供」とか言って、自分があたかもその子供のこと守ってあげられる力があるってことでしょ、それって、子供を下に見てる感じ、全然ないのかな?

そんなこと考えてると、「かわいい」って、結構失礼な表現なのかな?とか思えてくる。
でもさ、じっさい、好きな人とかに「かわいいね」とか言われても、腹立ったりはしないよね…
うーん…

と、考えているうちに、ふと、古語のこと思いだした。
「いとをかし」が笑えるって意味じゃなくて、趣があるって意味だったのと同じで、「かわいい」も、古語だと違う意味だったような。

さっそく調べてみたら、ウィキペに”「かはゆし(かわゆし)」は、「いたわしい」など相手の不幸に同情する気持ちを指す。”とあるではないか!!
やはり。

さらに、語源由来辞典は更に詳しい。
かわいいは…「かほはゆし(顔映ゆし)」→「かははゆし」→「かはゆし」という変化をした語と考えられている。「はゆし(映ゆし)」は「まばゆし(目ばゆし)」が「目を開けていられない」ことを表すように、身体に変調をきたすような感情や自体を示す語である。
なるほど!
目を向けていられないくらいの感情が沸き上がってる感じなのね。
そりゃ、愛くるしくて仕方ない時も、悲惨過ぎる時も、直視できない気持ちになるの、わかるわ!

と、ここまで考えて、あいや、またれよ。と思う。
悲しくて、辛くて目をそむけるのは、海外の方々もあると思うのよ。
じゃ、愛おしすぎて直視できないあの感じはどうなのかな?

あ、でも西洋の宮廷作法で、身分の高い人を見つめてはいけない、みたいなのがあったような。
もしかして、あの、恐れ多くて顔も上げられない感じ、愛おしすぎて直視できない感じに通じているのでは??

そう言えば、時代劇とかでもよく、
「オモテをあげーい」
みたいなセリフが出てくるよね。あれも、もともと、身分の高い人を直視したら目がつぶれる…みたいな感覚が、武家の作法に転じたものなんじゃない?

してみると、偉いお奉行様も大名様も、直視できないかわいい存在ってことだな。
というわけで、日本語学習者に冒頭の質問をされたら

You can call a person, whom you are not be able to see directly from any reason, "kawaii".
So the king, queen, "daimyo", the people who are pathetic or miserable, beautiful girl -- they are all "kawaii".

って答えればいいね。


…あれ、なんでこんな結論になった?