2014年11月14日金曜日

夏至なんです

夏至でした。
今年も夏に至りました。

夏だし、数日前に、ネット上の人に、このブログを見たというようなことをほのめかされて舞いあがっていることもあり、特にネタも無いのにブログを更新したりしています。

少し前に、シンガポール在住の友達が東京に来ていて、空の様子について面白いことを言っていました。
曰く、シンガポールでは朝、あ、太陽が昇り始めたな…と思ったらもうすぐに昼間の日差しになっているのだとか。夜も、さっきまで真昼間みたいに明るかったのに、ちょっと目を離したすきに真っ暗になっているとか。
「なんかさあ、朝と夕方が無いんだよね…」
友人はそう言って首をかしげていました。

これには私も驚いた。
白夜の国に住んだこともあるくせに、逆に赤道直下だとどうなるか、と言うところには考えが及んだことが無かった。

私たちは、海沿いだとか内陸だとか、北だとか南だとか、偏西風だとかなんだとか、土地によって季節や気候が違うことは承知しているけれど、土地によって、1日の流れ方が違うことにはあまり気をまわしていない。

常春の国、シンガポールでは、夏も冬も無い上に、夏至と冬至の差が殆ど無いらしい。
これで、シンガポール特有の言語があれば言語に影響していたかもしれないのになあと、悔しい気持ちになりますね。

念のため、赤道直下の国々にざっと目を通しましたが、アフリカは言葉事情が良くわからないし、中米はヨーロッパからの輸入言語を使用しているので、特有の言語を保持していて、且つ調べやすそうなのはインドネシアぐらい。
試しに「夏至」をgoogle翻訳してみたけど出てきませんでした。

赤道の下で暮らす人々は、夏も冬も変わらず真っ暗な夜を迎えているのですね。
ロシアに住んでた頃、夏休み、おばあちゃんの住むウクライナに遊びに行きたいと言う娘を心配した母親が
「あんな真っ暗なところ危険よ」
みたいなわけのわからない心配してたの思い出しちゃった。
私の住んでいたペトロザヴォーツクという街は夏至の頃1週間くらい、本当に太陽が沈まなくなります。そんなところに住んでる人にとっては、「夏なのに夜暗くなるなんて恐い」というイメージがある(人もいる)ようです。

ただ、そんな白夜の国でも、1週間全くの真昼間が続くわけではありません。本当の真昼間は2、3日しか無くて、残りの日は、夕方くらいの暗さにはなる。
要するに、一晩中、夕暮れ時みたいな明るさが続くのですね。

もちろん真昼間が何十時間もぶっ通しで続くハイテンションな状態は何にも替え難い良さがありますが、この、通常では日々の一瞬にしか味わえない夕暮れの時間帯を一晩中堪能できる情緒を好む人が多いのだなあという印象を当時抱いたのを覚えています。

日本くらいの緯度だと、言っても、8時前には日が沈んでしまうけれど、それでも、「逢魔時」とまで言われる不思議な影の無い時間帯が、夏至の頃にはいつもより随分長く楽しめることに少しそわそわしてしまうと言うのは否めないと思う。

そしてこの時間帯そのものや、その時の空の色に関する言葉が多いのは、夏至の効果も一役買っているのではないのかと思うのです。
夕暮れと一言に言っても、黄昏なら黄色っぽいし、夕焼けなら赤っぽい、薄暮なら青っぽいし、夕映えあたりだと黒い影がヴィヴィッドな印象がある?あとは、最近だと、マジックアワーとかトワイライトとかも言いますよね。

ちょっとずれるけれど、私の好きな「くるり」という日本のロックバンドの歌詞に、「べんがら格子の街」という、夕日の頃を表現したフレーズがありまして、べんがらって言うのは、弁柄とか紅殻とかの漢字が使用される暖色の一種。べんがら格子というのは、京都の町並みに見られる赤っぽい木の格子窓みたいなやつです。
この歌自体、京都の街そのものを歌っている側面もあるのだと思いますが、その格子の赤さと夕日の赤さがよい具合に交錯して、何とも言えない情緒を醸します。夕日の赤さを、空の色ではなく、街の色で表しているところが俳句っぽい。

閑話休題。
日本でもこれだけいろんな表現があるんだから、一晩中薄暮・薄明(の間に断絶が無いって、よく考えると不思議…)が続く国ではさぞいろんな表現が発達しているのではないでしょうか。

と言うわけで、まずはロシア語
twilightにあたる言葉はсумрак, полумрак。
сумは「ぼんやり」みたいな意味、полуは「半分」の意。
мракは「暗がり」の意味で、日本だと薄暮のイメージに近いようです。
夕焼け、朝焼けはそれぞれзакат,заря。
言葉の成り立ち的には、日没、日の出のような意味なのですが、googleでイメージ検索すると、日本語の夕焼け、朝焼けと同じように、赤い空の写真がヒットします。


....
って、ここまで書いて放置してたらもうすぐ冬至ではないか…!
今年の冬至は12月22日。朔旦冬至とゆうちょっと珍し目なやつらしいですね。
今調べて知っただけです。付け焼刃です。

どうして急に書きかけのブログのこと思いだしたかっていうと、話は昨日(11月13日)の昼に戻ります。
いつものごとく赤塔で昼飯ってたらですね、突然目の前に現れたんですよ、妹が。
離れて暮らす妹が。
幻?と思ったんだけど、幻じゃなくって、東京に野暮用があったとかで、突然飛行機乗って海越えてやってきたそうです。先に言えよ!平日の昼間に突然現れたらビビるわっ。

というわけで、急きょ妹がうちに泊まっていったのですが、なにしろ離れて暮らしている姉妹なもんで、大分夜更しして話しこんじゃったよね。

で、夜中の大半を占めていたビッグイシューが、「日付変更線問題」。
北極とか南極とかって、日付変更線を一日のうちに何回も越えられるはずだけど、時を遡れないのなぜ??って話ですね。
妹が、地球は傾いてるから日付変更線は極の上を通ってないとか言いだして、それじゃあ、極はずっと今日で明日が来ないのかとか、不毛な議論が延々と続き、結局、
「私たち、上手く説明できないだけで、多分わかってるよね」
ってゆう結論にしか至れなかった残念姉妹です。残念です。

てゆうか、今でさえ年1ぐらいしか会ってなくて、もうすぐもっと離れ離れになって、数年に一度しか会えなくなるというのに、夜のおしゃべりテーマこれかよ。そりゃ地球も傾くわ。

まあ、私たち姉妹が残念なところはさておき、地球は傾いているって話で、冬至とか夏至とかそうゆうこと思い当ってね、このブログのこと思いだしたというわけです。特になんのオチもポイントも無いです。

それでは早速薄明薄暮を現す表現に戻りましょうかね。
夏に、ブログを書き始めて手が止まってしまったのは、結局、ロシアやフィンランド語でソレっぽい単語探しても見つけられなかったからなのです。twilightの等価語くらいしか出てこない。あとは朝焼けとか日没とか、太陽をフィーチャーした表現。まあ、twilightにもレベルがあるって話は知らなかったので面白いと思った。

市民薄明常用薄明、第三薄明) Civil twilight
太陽高度-50分~-6度。まだ十分に明るさが残っていて、人工照明がなくても屋外で活動ができる明るさ。「50分」は太陽の半径に相当する角度であり、これだけ地平線の下に入っている時が日の出・日の入り(太陽の上端が地平線に接した時)ということになる。
航海薄明第二薄明) Naval twilight(Nautical twilight)
太陽高度-6度~-12度。海面と空との境が見分けられる程度の明るさ。
天文薄明第一薄明) Astronomical twilight
太陽高度-12度~-18度。6等星が肉眼で見分けられない明るさ。

ウィキペディアより

日本にも、火灯し頃などの表現があるけれども、上記の表現は、船舶関連の専門用語かなんかですので、各国語に訳がありますが、その国独自の表現ではない。

あとは、マジックアワー、ブルーアワーといった、映像とか写真関係の表現くらいでした。
なんだろう、日本語の豊富さから期待しすぎたのか…
調べ方が悪いのだろうか。
黎明、払暁、彼者誰(かわたれ)、明け、夜明け、暁、東雲、曙、黄昏、夕暮れ、日暮れ、薄明、薄暮、夕闇、灯点し頃、暮合い、夕、夕間暮れ、夕べ、逢魔時…

ちょっと、そのうちリベンジしたいテーマですが、とりあえずアップしちゃいます。
ああ、リベンジしたいテーマばっか増えていく。