2018年4月24日火曜日

TolongとSilakan

先日会社内のカルチャー講座で、初めてのインドネシア語会話というのを受けた。
国としての独立というイデオロギーから多民族のための公用語として戦後整備された言語とのことで、マレーシア語をベースにしてはいるのだけど、簡潔、機能性、合理性が人工的に考慮されている感じは、エスペラントやsimplified Englishに通じる意図を感じる構造のようだ。

っても、挨拶とかくらいしか習ってないけど。

で、中でもとても驚いた基本単語があったので書いておきます。

もらったプリントにはこう書いてある。

どうぞ~してください Tolong 自分のために使う
どうぞ~してください Silakan 人に勧める時に使う

つまり、英語で言えば、Pleaseにあたる表現で、この後に動詞が来る。
話し相手に何かしらの動作を促すための単語なのだけど、その動作が相手のためなのか、発話者のためなのかで使い分けるというのである。なんということだ。

先生は、「どうぞ座ってくださいなんていう時はSilakanを使います。これはビジネスなんかでは結構気をつけなくてはいけなくて、良かれと思ってどうぞ来てくださいなんて言って、間違ってTolongとか使ってしまうと、『あなたの頼みを聞いてあげたのだ』ってものすごい恩着せられたりするから気を付けてください」というような説明をしていた。

空気読むのが苦手でおなじみの私としては、これは非常にありがたいシステムなのではなかろうかと。ブレークスルー的発想じゃない!?

例えばですよ。
友達と二人でごはん食べてたとするじゃないですか。
で、大皿でエビチリとか食べてたとして、エビが最後一個残ってしまう。
そうすると友達がいうわけ。
「食べて食べて」

そしたら私は多少腹いっぱいでも、あ、食べてほしいのか、じゃ食べるわ。ってな具合に食べる。

まあ、それ一回だけのことだとそれで終わりなんだけど、そんなことが10回も20回も続くとする。から揚げだったり、デザートのイチゴだったり。
で、あらこの友達は小食なのだなぁなんてぼんやり思い始めたころ、突然言われるのである。

「いつもいつもゆずってあげてるのにぜんっぜん感謝とか無いよね」

「え???」
なのである。
こっちもむしろ残さないように毎回食べてあげてたつもりなのである。
「えーーーーっ」
なのである。

しかしここにTolongとSilakanがあれば!!

お団子、最後の一個ですよってとき。

「Tolong、食べて」

と言われれば、あ、もう食べれないから私に食べてほしいのだなってわかるではないか!そしたらまあ、まだ食べれたら食べるよね。

「Silakan、食べて」
と言われれば、あ、ご厚意で譲ってくれようとしているのだなってわかる。
そしたら、腹いっぱいなのに無理して食べず、いやいやそちらが食べてくださいとなる。

と、ここまで考えて、いやしかし待たれよ。と私は思った。

こういうセリフを聞いたことはないだろうか。

「ああもうおなかいっぱい!!わたしもう無理。最後のクッキー、あなた食べて。むしろお願いするわ!そうしてくれたらほんと助かるから」

という、「あなたに恩を着せたりなんかしない」という心遣いから、「ほんとは自分も食べたい」なんて微塵も思ってない体をあえてとりつつの譲り精神。
…この場合、本心をかくして「Tolong」を使うのであろうか??

「ほんと、お願い!こっちのチョコレートもあなたが食べて。その方が私がうれしいから!」
という、「あなたの幸せ=私の幸せ」という気持ちの時。
…この場合、言われた方もチョコレートを食べたいと思っていれば、言われた通りチョコレートを食べることは言った方のためにもなるし、言われた方のためにもなる。
そんなときは「Tolong、かつSilakan」とか言うんだろうか…。

しかも、あなたが嬉しいと私も嬉しいという気持ちの中に、(でもほんとはほんのちょっとだけ私も食べたいと思ってるけど)という気持ちが含まれていた場合は??

とか考えてると、結局「今のTolongはほんとはSilakanのTolongか?」とか「今のTolongは、実は2割Tolongだったりするのか??」とか考えなきゃいけなくなって余計ややこしいのでは…???

インドネシア人の人たちは、結局この二つの単語、どうやって使い分けているのだろうか。使い分けられているのだろうか?いつかインドネシア人の友達が出来たら聞いてみたいです。