2016年11月3日木曜日

文化の日によせて

図書館で新刊に分類を付与する仕事をしていた時、文化人類学系の書籍にはいつも悩まされた。
いくつものキーワードを分類ツリー横断して付与できる電子書籍とは違い、質量を伴う冊子体はどこにどう配架するかが、アーカイブの要。どのツリーの元に分類していくかで、その後のその本の運命が大きく左右される。
タイトルやアブストラクトに「文化」という単語が入ってくる度に、300番台 (Social sciences) につけるのか、700番台 (Arts) につけるか、あるいは400 (Language) か800 (Literature) か…DDCとにらめっこしながらうんうん唸っていた。

あーーっもう、文化ってなんなんだよ!!って、同僚と嘆いて悩んだのに、結局未だによくわからない「文化」という言葉。

google先生による"culture"の定義は一番に
1. the arts and other manifestations of human intellectual achievement regarded collectively.
としていて、類義語としてthe arts, the humanities; intellectual achievement(s), intellectual activity; literature, music, painting, philosophyが挙げられている。

語源については以下の説明。
Middle English (denoting a cultivated piece of land): the noun from French culture or directly from Latin cultura ‘growing, cultivation’; the verb from obsolete French culturer or medieval Latin culturare, both based on Latin colere ‘tend, cultivate’ (see cultivate). In late Middle English the sense was ‘cultivation of the soil’ and from this (early 16th century), arose ‘cultivation (of the mind, faculties, or manners’); sense 1 of the noun dates from the early 19th century.
まあ、よくいわれる、「耕す」ことから来てるって話。
つまり、日々の糧を得るための行動ってことなんだね。
こう書くと、芸術は純粋に美学を追求するのに対し、文化は生命維持に関わること…みたいに対置してしまいそうになるけど、実際にはそうじゃなくて、人間はある時、生きていくためには食糧を摂取するだけじゃなくて、他からも栄養をとる必要があるし、それは自分たちで耕して収穫できるって気付いたってことなのかも。

因みにロシア語のкультураもフィンランド語のkulttuuriも同語源と思われる。
例えば古くから世界中で認識され、使用されている「芸術」という言葉がEng: art, Rus: скусство/удожество, Suo: taideと語源を全く異にするのとは逆に、比較的新しい時代に世界へ拡散されて行った概念なのかもしれない。

語用の歴史を見てみても、1920年代以降、civilization以降に使用率が伸びているようだ。


"art"だと、1800年代から現代まで、使用率が常にほぼ一定のようだ。
芸術は昔っから存在していたけれど、それが人間が生きていくために必要な糧としての認識に、そして人間自体が育てられるものだって認識に変わっていったのは最近ってとらえ方が出来るかもしれない。
それまでは、芸術は多分「神事」とか、「物理化学」に属していたのかな。

ところで、じゃあ日本語の「文化」って言葉はどこから来たんだろう?
明らかにラテン語のcolereが語言ではないよね?
ネット上でざっと見た感じだと、これっていう定説はなさそう。
「文明開化」の略…とかそうゆう説もあるっぽい。
まあ、それは眉つばとしても、「文」という文字を使用しているのは面白い。
文…てのはつまりwordsってことだよね。
言葉にするってこと。
「何かを言葉にする」という行動は、自分にとって未知のものを理解しようとする試みだと思ってる。
概念が言葉をつくるのか、言葉が概念をつくるのかみたいな話になるとややこしいけど、自分にとって新しい概念や未知の価値観を理解しようとするプロセスとして、言語化という現象があると思う。
ここでいう「言語」は狭義である必要はなくて、それこそ絵画だったり、音楽だったり、しぐさだったり、表情だったり、広義のバーバルと捉えられる。
そう考えれば、「文明開化」の略ってのもあながち遠からずかもね。

では、カルチャーという言葉も文化という言葉も日常的に使用する自分が、もう一度この概念に対して落とし所を見つけるとしたらどうなるだろう。
私たちは、未知なる何かを理解しようと日々試みては、言葉の土壌を耕し糧を得なければ生きていけない種類の生き物ってことでどうかな。

さてさて今日は、どこを耕しに行こうか。

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