2018年6月28日木曜日

もうすぐ海の日:WARF、 QUAY 、PIER の違い

もうすぐ海の日ですね。
今年の海の日の週末は埠頭音楽祭なる催しに行く予定です。

そんな、口にするだけでわくわくする単語「埠頭」ですが、英語だとなんていうのでしょうか?

英辞郎で調べたところ、以下のように出てきました。

いっぱいある...
まあ、一つめのは船の停泊するところみたいな、説明なので、置いといて、他の単語はどう違うのか??


ググってみたところ、こちら→のサイトにわかりやすい説明が。
pier、quay、wharfは、jettyとあわせて船の接岸部の形状、土台が杭で支えられているか、埋め立てられているかの2ポイントで区別するんですね~。


因みに、埠頭音楽祭の開催される晴海埠頭は、google mapで見るとHarumi Wharfとなっています。


公式ページの写真を見てみると、確かに船が横付けされていて、土台が杭でできてそう。


では残り、bundとは?
google先生に聞いてみたところ、なんとペルシャ語起源!


堤とか堤防とか、海から陸地を守る機能のある岸部のことみたいですね。
そうゆう岸辺が街として発展したものも、bundと呼ばれるらしい。

この単語は、中国語繁体字だと、外灘と言います。
The Bundだと、上海の外灘(ワイタン)のことを示すようです。


埠頭音楽祭主催の1983は当日、ジョンルウ外灘行進曲バージョン披露するのでしょうか??

それともサルサ♪


2018年5月30日水曜日

6月の呼び名、jの展開、夏の始まり

この前SaToAのライブに行って知ったんですが、彼女ら自主レーベル立ち上げてたんですね。
で、レーベル名の「ケサクータ」を冠した自主企画「ケサクータマーケット」を6月23日にThreeで開催するそうです。

で、ライブのMCでそのイベント紹介する時に、「ケサクータってゆうのは、6月って意味で…」って話してて、えええ???どこの国の言葉だよ???ってなりました。

だって、6月って、自分が知っているようなたいていの言語では全部語源いっしょってイメージだったので。


【ユノー】
けだし、ローマ神話に出てくる女神「ユノー」の名前から来ているやつです。ユノーっていうのはローマ神話の12神のひとりで、ユピテル(木星ジュピターの語源で知られる12神の一人)の妻。結婚の守護神かなんか。どうして6月がその女神の月なのかはしらんけども、とにかくこのユノーの名で6月を呼ぶ国は、語族を超えて、いっぱいあります。

- 「ユ」
ローマ神話の生まれたラテン語では6月Iuniusと書きます。たぶん「イウニウス」みたいな感じの発音。この「イウ」の部分は、素早く言うと「ユ」に聞こえるよね。この「イウ/ユ」の発音で始まる名まえで6月を呼ぶ言語は例えばギリシャ語のΙούνιος [Ioúnios]とかロシア語のиюнь [iyun']みたいにいろいろな文字体系で存在するんだけども、ローマ字を使用する言語の場合、大きく分けて3種類の記述パターンがある。

① iu
ラテン語と同じ綴りね。ラテン直系のルーマニア語Iunieとか。ハワイ語のiuneとかも。

② ju
jをヤ行で発音する国は多いですよね。オランダ語とかスウェーデン語のjuniがそれ。インドネシア語のJuniとか、ヨーロッパ以外の言語でもよく出てくる。

③ yu
ヤ行の発音であることから出てきた亜種のような感じでしょうか。ハウサ語のYuniとかがそれにあたる。まあでも基本的には多くの国ではjを用いてつづられているよね。

- 「ジュ」
前述のjを用いてつづられる語が、ヤ行じゃなくてジャ行で発音される国がめっちゃありますね。英語のJune、フランス語のjuinとかがそれ。
このジャ行の発音から綴りが変化して、イタリア語みたいにgiugnoってなるパターンも。

- 「フ」
さらに、jを用いてつづられる語が、ファ行(なんだそれ)みたいな発音になる国もある。

① ju
スペイン語のjunioは「フニオ」みたいな発音になるのかな。

② hu
この「フ」の発音に合わせてhuで綴る言語も多くあるようです。セブ語(セブアノ語)のHunyoとかがそれですね。


これらのほかにもガリシア語のXuñoと書いて「シューニョ」と発音するのかな、であったり、微妙にいろいろ違えども、ユノー語源の呼び名がとても広く流布している。

それからスラヴ系ではユノー以外の語源の呼び名でポピュラーなのがありますね。

Червень
チェルヴェーンみたいな発音です。
「チェルヴ」っていうとなんとなく紅色的な意味合いの語幹のイメージですが、どうして六月にこの赤っぽい呼び名がついているのかは諸説あるようです。
ウィキペディアによると赤色の塗料の元になる虫がその時期いっぱい発生するからとか、その時期に赤い木苺がいっぱい成るからとかそんあようなことがかいている。
ポーランド語のczerwiecであったり、チェコ語のČervenとかがこの仲間です。
自分の中の感覚だと6月に赤のイメージ全く無いけどスラヴ圏の6月は赤っぽいんですね~。

とまあ、アジア系言語とかアフリカ系の言語だと全く状況しらないけど、1年を12ヶ月で数える暦事態が西洋のものだから、アジアとかでも西洋の呼び名を概念と共に外来語として輸入してることがおおいし、基本、ユノーとチェルヴだけ押さえておけば、知らない国の言葉でも、あ、今の単語は6月って意味だなって大体あたりがつく。


ここへきて。
ケサクータですよ…。
もう、なにがどうなってそんな呼び名なのか検討もつかん…
突然変異過ぎるだろフィンランド語かよw

って思って調べたら…。


フィンランド語だった…。

…。
月の名前くらい勉強したはずなのに、全く覚えていないという(涙)

kuuはお月さまのことですね。
語尾は属格変化かなんかですね(よく覚えてない)
じゃ、ケサってなんだろう???

と思って調べたら、フィンランド語や言語ネタ毎日更新の、シロクマさん(て勝手に呼んでる)のページに丁寧な解説がありました。


さすがシロクマさん!頼りになる!!いつもお世話になっております。

てことで、kesäkuuは「畑をすき直す月」ってことなんですね。

え、ちょとまって、畑を「鋤く」って、耕すのと何が違うんだろう??

goo辞書みると、「鋤や鍬で田を耕すこと」って書いてますね。…だから結局耕すと何が違うんじゃ。
しかしよくみると(「透く」とどう語源)の注意書が。なるほど。透き通らせるみたいな意味合いが強いのかもね。冬中放置して無軌道に張った雑草とかの根とかを、鋤でぶちぶちきって、土を柔らかくして、新しい種からの根がよく地面に広がれるようにするのですね。

まあ、耕すっていうと、肥料とかまいたりとか、そういう、畑の土作全体をさす意味なのでもうちょっと広いけど、鋤くだと、土の中の遠しをよくする意味合いが強いのでしょう。たぶん。


ううむ、そうか。
この6月ひとつきで、今年も半分終わるのだよね。この半年で、放置し放題なっているいろいろなことものに鋤をいれて、後半の豊穣に繋げたいところ。
ちょっといろいろ、鋤き直してみようかね。

kesäは、フィンランド語で「夏」の意味でもあります。もう、夏が始まるのですね。

2018年4月24日火曜日

TolongとSilakan

先日会社内のカルチャー講座で、初めてのインドネシア語会話というのを受けた。
国としての独立というイデオロギーから多民族のための公用語として戦後整備された言語とのことで、マレーシア語をベースにしてはいるのだけど、簡潔、機能性、合理性が人工的に考慮されている感じは、エスペラントやsimplified Englishに通じる意図を感じる構造のようだ。

っても、挨拶とかくらいしか習ってないけど。

で、中でもとても驚いた基本単語があったので書いておきます。

もらったプリントにはこう書いてある。

どうぞ~してください Tolong 自分のために使う
どうぞ~してください Silakan 人に勧める時に使う

つまり、英語で言えば、Pleaseにあたる表現で、この後に動詞が来る。
話し相手に何かしらの動作を促すための単語なのだけど、その動作が相手のためなのか、発話者のためなのかで使い分けるというのである。なんということだ。

先生は、「どうぞ座ってくださいなんていう時はSilakanを使います。これはビジネスなんかでは結構気をつけなくてはいけなくて、良かれと思ってどうぞ来てくださいなんて言って、間違ってTolongとか使ってしまうと、『あなたの頼みを聞いてあげたのだ』ってものすごい恩着せられたりするから気を付けてください」というような説明をしていた。

空気読むのが苦手でおなじみの私としては、これは非常にありがたいシステムなのではなかろうかと。ブレークスルー的発想じゃない!?

例えばですよ。
友達と二人でごはん食べてたとするじゃないですか。
で、大皿でエビチリとか食べてたとして、エビが最後一個残ってしまう。
そうすると友達がいうわけ。
「食べて食べて」

そしたら私は多少腹いっぱいでも、あ、食べてほしいのか、じゃ食べるわ。ってな具合に食べる。

まあ、それ一回だけのことだとそれで終わりなんだけど、そんなことが10回も20回も続くとする。から揚げだったり、デザートのイチゴだったり。
で、あらこの友達は小食なのだなぁなんてぼんやり思い始めたころ、突然言われるのである。

「いつもいつもゆずってあげてるのにぜんっぜん感謝とか無いよね」

「え???」
なのである。
こっちもむしろ残さないように毎回食べてあげてたつもりなのである。
「えーーーーっ」
なのである。

しかしここにTolongとSilakanがあれば!!

お団子、最後の一個ですよってとき。

「Tolong、食べて」

と言われれば、あ、もう食べれないから私に食べてほしいのだなってわかるではないか!そしたらまあ、まだ食べれたら食べるよね。

「Silakan、食べて」
と言われれば、あ、ご厚意で譲ってくれようとしているのだなってわかる。
そしたら、腹いっぱいなのに無理して食べず、いやいやそちらが食べてくださいとなる。

と、ここまで考えて、いやしかし待たれよ。と私は思った。

こういうセリフを聞いたことはないだろうか。

「ああもうおなかいっぱい!!わたしもう無理。最後のクッキー、あなた食べて。むしろお願いするわ!そうしてくれたらほんと助かるから」

という、「あなたに恩を着せたりなんかしない」という心遣いから、「ほんとは自分も食べたい」なんて微塵も思ってない体をあえてとりつつの譲り精神。
…この場合、本心をかくして「Tolong」を使うのであろうか??

「ほんと、お願い!こっちのチョコレートもあなたが食べて。その方が私がうれしいから!」
という、「あなたの幸せ=私の幸せ」という気持ちの時。
…この場合、言われた方もチョコレートを食べたいと思っていれば、言われた通りチョコレートを食べることは言った方のためにもなるし、言われた方のためにもなる。
そんなときは「Tolong、かつSilakan」とか言うんだろうか…。

しかも、あなたが嬉しいと私も嬉しいという気持ちの中に、(でもほんとはほんのちょっとだけ私も食べたいと思ってるけど)という気持ちが含まれていた場合は??

とか考えてると、結局「今のTolongはほんとはSilakanのTolongか?」とか「今のTolongは、実は2割Tolongだったりするのか??」とか考えなきゃいけなくなって余計ややこしいのでは…???

インドネシア人の人たちは、結局この二つの単語、どうやって使い分けているのだろうか。使い分けられているのだろうか?いつかインドネシア人の友達が出来たら聞いてみたいです。