2022年10月31日月曜日

隠す、隠れる、隠される

日本語サークルメモ 5

池袋の日本語サークル 「日本語で話そう」(詳細→)でのメモ。


隠す、隠れる、隠されるはどれも似た表現ですが、文の主体が変わってきます。

隠す
他動詞 (intransitive verb)です。他動詞なので、文には目的語が必要ととなります。

ジャコランタンがオバケから小鳥を隠す。
ジャコランタンがこの文の主語、小鳥が目的語となります。


隠される
「隠す」の受動態(passive voice)です。「隠す」の文章で目的語だったものが主語になります。これに対して「隠す」の態は能動態(active voice)と呼ばれます。「隠される」は「隠す」の語尾変化形の一つなので、辞書にこの形で見出し語はありません。

小鳥がジャコランタンによってオバケから隠される。
小鳥がこの文の主語。能動態の時に主語だったジャコランタンには「~によって」をつけて文に入れることができます。

オバケがジャコランタンによって小鳥を隠される。
オバケがこの文の主語。オバケが小鳥を探しているのに、ジャコランタンはこのオバケに対して小鳥を隠すということをしています。この場合、隠すの目的語である小鳥には「~を」がついたままになっているのがポイント。「妹はお兄ちゃんにプリンを食べられた」なども、これと同じ仕組みの文章です。


隠れる
自動詞 (transitive verb)です。「隠す」、「隠される」は主語は入れ替わるものの、どちらも行動を起こしたのはジャコランタンでした。
これに対し、「隠れる」では小鳥自身が行動を起こす主体となります。

小鳥がジャコランタン(の中)に隠れる。
この場合、小鳥が小鳥自身を小鳥自身で隠すことになります。
自動詞は自分自身に対して行う行動なので、目的語を伴いません。
目的語を伴わない動詞なので、自動詞には受動態が存在しません。

小鳥がオバケから(逃れて)隠れる。
「小鳥がジャコランタンに隠れる」、「小鳥がオバケから隠れる」と言うことはできますが、通常、「*小鳥がジャコランタンにオバケから隠れる」というように一つの文章として表現すると意味が通じません。「~に」や「~から」の意味が不明瞭で単語同士の関係性がよくわからなくなるからです。「小鳥がオバケから逃れてジャコランタンの中に隠れる」というように、関係性を限定する言葉を追加すればわかりやすくなり、話が通じるようになります。

似たテーマのエントリー:
ことばのくぼみ: 「壊す」「壊れる」「壊される」

2022年10月26日水曜日

本と書籍

日本語サークルメモ 4

池袋の日本語サークル 「日本語で話そう」(詳細→)でのメモ。


「好きな映画はなんですか?」
「好きな食べ物はなんですか?」

そんなふうに、いろいろなものの好みについて話しているとき、参加者の一人が言いました。

「好きな書籍はなんですか?」

この表現、間違ってはいない。だけど、日常会話の中で相手の好みを聞くときには、どちらかというと

「好きは本はなんですか?」

ですよね。それじゃあ、「本」と「書籍」ってどう違うんでしょうか?
上の例でいうと、「好きな本」と言うときの「本」は、その本にどんなことが書かれているかという、内容を指している。だから「ミステリーが好き」と、小説のジャンルを答えてもよいし、「エッセイが好き」と著作の形式を答えてもいいし、「芥川龍之介の河童が好き」と具体的な作品を挙げてもいいです。しかし、「好きな書籍」となると、「文庫が好き」だとか「新書が好き」だとか、なにかこう、形態のことを回答したほうがいいような気がしちゃうかなあ。

一文字で表せたり、ひらがなで書かれたり、訓読みしたりといった単語と、音読みの熟語とを比べると、前者のほうが意味が広く、後者のほうが意味が限定されていることが多い。本と書籍もこの例のとおり、「本」のほうが意味が広いというところはあるのかな。
ただ、すべての場面で「書籍」という単語を「本」に置き換えられるかというと、そんなこともない。
例えば図書館や書店で、「雑誌コーナー」や「新聞コーナー」など一緒にならぶ看板は「書籍コーナー」であって、「本コーナー」とはあまり書かれない。「本」だとカジュアルな感じがするし、口語的すぎる気もする。一方書籍だと、おかたい表現という感じ、文語的な気もする。「あちらで書籍を販売しております」と「あちらで本を売っております」はどちらも丁寧な表現だし公式な場所で使用できる表現だけれど、前者のほうがより仕事中の人の言葉っぽいし、後者のほうがやわらかい感じがするというか、例えば値切ったら安くしてくれそうだったり、古本やISBNのついていないような本も買えそうな印象を受けます。(実際にそうとは限らない)

こうやって考えてみると、二つの単語の違いを一言で言い表すのはとても難しく、こういう時はどっちかというとこちらの単語のほうが使われるんだなという経験を、少しずつ積んでいくしかないのかもしれません。
いや、でもいつかはこのニュアンスの違いを言語化してみたいものです。

ところでこの日は本と書籍のほかにも、一文字で表せたり、ひらがなで書かれたり、訓読みしたりといった単語と、音読みの熟語の対比例がいろいろと出てきました。


ぶつかる    ーー    衝突する
沈む        ーー  沈没する
幸せ        ーー       幸福
食べ物    ーー        食物

これらの単語は、使い分けられている以上、全く等価の言葉でないことは確かですよね。なんとなく、日々の会話では前者を、文字による伝達では後者が使用されがちということはありそう。音読みの熟語は少ない文字数で伝えたいことをかなり限定できるから文字と親和性がある一方、同音異義語が多くなるので、同音異義語の少ない前者は口語と親和性が高いというところもありそう。あとは、もともと大陸から渡ってきたままの形に近い熟語表現は、大和ことばより権威があったという歴史的な背景もあるのかもしれないですね。
公的文書や学術分野では熟語がいっぱい使われているほうがものものしく、権威を示せるような印象があり、説得力が上がるような感じがします。一方ビジネスシーンでもプレゼンなどがうまい人は前者の単語を機能的に利用できている印象がありますかね。小説や詩などの芸術分野では、前者のやわらかさや端的さ、熟語のもつかたさ、権威を配合するバランスが非常に重要になってくるのかもしれません。

2022年10月19日水曜日

そんなに食べない

日本語サークルメモ 3

池袋の日本語サークル 「日本語で話そう」(詳細→)でのメモ。


指示代名詞「これ」、「それ」、「あれ」の使い分けは、指示しているモノが誰の側に属しているかで決まる。

これ:話者の側にあるものを指す
それ:話している相手の側にあるものを指す
あれ:話をしている人たち以外の側(遠くや過去)にあるものを指す

こんなに~ない = これ + ほど + に~ない
そんなに~ない = それ + ほど + に~ない
あんなに~ない = あれ + ほど + に~ない
→具体的に指し示せるものと比較して、否定の程度を示す表現

こんなに食べない
→実際に自分の前に置かれた料理があって、その料理の量を指示して否定するときなど
そんなに食べない
→友達がご飯を食べようとしていて、「あなたも食べますか?」と同じ量のご飯を進めてきたときに、友達のご飯の量よりは少ない量じゃないと食べられないときなど
あんなに食べない
→となりのテーブルで食べている人のご飯の量をと比較していうときなど


第二の「そんなに食べない」
「それほど」や「そんなに」の場合のみ、具体的に比較対象として指すものが存在せず、漠然と量を否定するときにも使える。(「これ」や「あれ」は、具体的に指すものがないと使えない)
この意味の場合「そんなに食べない」、「(少しなら食べるけど)たくさんは食べない」とか、「少ししか食べない」という意味になります。


この第二の「そんなに」は、指示する対象が存在せず、否定する量が曖昧なので、実際には全く正反対の意味を暗に示していることも多いです。

「あなたは歌がうまいですね」などと褒められたときに「そんなにうまくないです」と、謙遜する表現として使われることも多いですが、実際には心の底では「うまくない」とは思っていないことも多いですよね。

テスト前に「勉強してきた?」と尋ねられて「そんなにできなかった」と答える人もたいてい十分に勉強してきていることが多いです。

あなたが待ち合わせに遅刻してしまい「ごめん、待った?」と尋ねた時に相手が「そんなに待ってないよ」と答えたとしても、ほんとはうんざりするほど長く待っていてとてもストレスが溜まっているかもしれないのであんまり安心できません。

「どれくらい食べる?」と尋ねて「そんなに食べない」と返事が返ってきたとしても、実際にどれくらいの量を食べるかはなかなかわからないことが多いかもしれません。





~するには~すぎる

日本語サークルメモ 2

池袋の日本語サークル 「日本語で話そう」(詳細→)でのメモ。


~するには~すぎる
too ... to do

ジョギングするには暑すぎる。

実際にはジョギングできないということを言いたいときにつかう表現。
「~する」以外の形の動詞でも同じように使える。

歩いていくには遠すぎる。

つまり、遠すぎて歩いてはいけないということ。

ところで、この「~すぎる」という表現、上の例のように限度を超えてしまっていることを否定的な含みを持って表現する使用方法が一般的だけれども、最近では肯定的な意味で「とても~だ」ということをテンション高めに伝えたいときの口語表現でよく使っちゃいますよね。

あの子はちょっとかわいすぎる。
この曲いい曲すぎて泣いた。
まんじゅう大帝国の漫才面白すぎ問題。

2022年10月11日火曜日

駄洒落

 日本語勉強中の方々とフリートークする会に参加し始めたので、そこで出てきた日本語のティップスを書き残しておこうと思います。

今回は駄洒落


同音異義語(homophone)を使った言葉あそびのことを「駄洒落」といいます。

布団ふっとんだ。

「これはなんですか?」「これはナンです」

コロナに感染したので家で野球を観戦しました。

日本語には同音異義語がとても多いそうです。母音が少ないせいだとか、声調のある中国語の単語を声調の無い日本語で借用しているせいだとか、いろいろな要因があるようです。話している時はアクセントやコンテキストでどの意味か判断しなければいけないけれど、文字に書くと漢字や表記が異なるのでわかりやすいですね。


ところで...

駄洒落の「駄」という漢字はどうして「馬」に「太る」と書くのでしょうか?

この漢字を使うほかの熟語は

駄目

駄犬

駄文

無駄

などなど、取るに足らない、つまらない、よくない、などの意味。

太った馬は駄目な馬だと考えられていたから?と予想してみましたが調べてみたらそうでもなかった。大きなものを馬に載せる=荷物を載せるというような意味の成り立ちだそうです。(参照→